登記制度のはじまり
そもそも目的は?
登記制度は、古くは明治維新後に政府が行った「地券制度」や「地租改正」が起源となります。この時、日本では初めて土地に対する「所有権」が確立し、その土地の所有者から税金を徴収するシステムが確立しました。
国家の財政基盤を整えるためにも、近代的な税の徴収システムが必要だったのです。
では、それ以前はどうだったのか?
江戸時代までは米で納める「年貢」などであったようです。これは物納による納税方法で、年貢米を政府(幕府)が売ることで収入としていました。このとき、生産者である耕作者が直接の納税義務者でしたので、それ以外の商人、職人等の税負担は農民と比べると軽かったと言われています。
- 収穫量で税収の増減がでてしまう
- 年貢米の管理も手がかかる
- 地域で税額に差がある
- 身分によって税負担が公平でない …..etc
このようなデメリットがあったので、
納税方法を 「物納」 を 「金納」に変え、
納税者を 「耕作者」 から 「土地の所有者」に変えることで、
これまで税金をあまり納めていなかった人々への課税ができるようになり、安定した税収が得られるような制度作りをしました。
制度作りのために行ったことは?
土地の測量を行い一筆ごとに図面を作り、またそれらを継ぎ合せた図面も作りました。そしてその測量の成果である土地の面積が「地券」に記載されました。なお、これらの測量は人民(民間人)に行わせたものも多く、一部を除き全体として精度は非常に低かったと言われております。その理由は後述いたします。
現在では?
この時の「地券」は、土地の「登記簿謄本」 または「登記事項証明書」、
また図面は、現在の「公図(字図、あざず)」または「地図」と形を変えて利用されています。
ちなみにこの古い図面や資料の写しは、現在も法務局や役所等でも請求することができます。土地家屋調査士の業務においては活躍することも多い書面のひとつです。
最後に
「当時の測量の精度が低かった」理由ですが、民間人に時間がない中で急いで測量を行わせ、またその技術の未熟だった事もあります。ですが、それ以上に「税金を多く払いたくない」という心情が背景にあった事が一番大きな理由だと言われています。興味深いところです。ですので、昭和以降も表題部に変更がなされていない土地は、実測面積よりも小さいことがものすごく多いのです。
関連しまして土地の売買などで、いわゆる「公簿売買」といわれる取引は、土地の測量をせずに登記簿の面積で売買しましょう、という契約になります。「公簿売買」⇔「実測売買」。購入後のトラブル防止の観点からも、測量費用はかかりますが、可能な限り「実測売買」が選択しましょう。
土地購入し夢のマイホームを新築した後、近隣の方と境界が原因でトラブルになる事程、悲しいことはありませんもんね。
※登記制度のはじまりに関しては、内容をかなり簡略化しております。ご参考にしていただけると幸いです。